5月8日〜11日、実行委員4人で、ハイエースいっぱいに、愛の袋 (皆さまからお預かりした文房具やおもちゃ、お菓子を子供一人一人の為に、鎌倉のお母さんたちが手作りした袋に詰めたもの) や、図書、スポーツ用品、衣類、食料などたくさんのプレゼントやワークショップの材料をのせて、仙台、石巻、三陸沖、陸前高田と被災地をおとずれました。
津波による被災状況は何処も想像以上の状態で、延々と瓦礫が続く様に4人とも言葉を失いました。 そこに、地震前にあったであろう生活の事を想うと、心の中で手を合わせ、祈らずにはおられませんでした。
津波による被災状況は何処も想像以上の状態で、延々と瓦礫が続く様に4人とも言葉を失いました。 そこに、地震前にあったであろう生活の事を想うと、心の中で手を合わせ、祈らずにはおられませんでした。
最初に訪問したのは、地震後道路が分断され孤立した際、残された家の前の空き地に海岸の石をあつめてSOSのサインを出し生存を知らせて助かった石巻の漁村の避難所です。ヘリコプターが停まれる場所もHの文字を大きく書いて作ったそうです。
残っていた食料を持ち寄って飢えを忍び、1週間くらいのちヘリコフターで救援物資が届き、現在はいろいろな所から救援隊が来て何とかやっています。
漁村の皆さんが、協力して生活している姿に、人と人のつながりの大切さ、自分たちの手で必要なものを作り出していく創造力の大切さを改めて思いました。
漁師さんたちの仕事である、わかめ漁は3月が収穫期ですが、今年は全て地震でだめになってしまいました。でも、来年の収穫を目指して、10月に種を仕込めるように、皆で努力をしているそうです。
来年の3月には、わかめを収穫し流通を再構築したいと語っていらっしゃいました。
その自立への応援をする事がこれから一番の助けとなりそうです。