5年生、6年生以外の全学年の児童にも、愛の袋を直接お渡しすることができました。児童生徒の学年ごとの男女数の情報を事前にいただけていたので、袋の中身も、きっとそれぞれの皆さんに、喜んでいただけたことと、思います。
手渡しするときは、もちろん、英語でのコミュニケーションです。ほんのわずかな言葉のやり取りですが、子どもたちは、はつらつとした元気な笑顔で教室へ戻っていきました。
5年生、6年生以外の全学年の児童にも、愛の袋を直接お渡しすることができました。児童生徒の学年ごとの男女数の情報を事前にいただけていたので、袋の中身も、きっとそれぞれの皆さんに、喜んでいただけたことと、思います。 手渡しするときは、もちろん、英語でのコミュニケーションです。ほんのわずかな言葉のやり取りですが、子どもたちは、はつらつとした元気な笑顔で教室へ戻っていきました。
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5月30日(月)。陸前高田市の小学校にて5年生、6年生を対象に英語の授業を実施しました。 私たちの実行委員会の代表である井上アンナは鎌倉の小学校、中学校でALTとして英語を教える仕事をしています。被災地で、もっとも必要とされている支援を提供したいと、いう彼女の熱意と、キリガヤさん、他、多くの方々の協力により、英語の授業による、子どもたちとの交流の機会を得ることができました。 アンナ先生による英語の授業は、子どもたちが楽しみながら英語を習得できるように効率よく工夫されています。授業の始まりでは、やや緊張していた児童生徒たちでしたが、次第に授業に引き込まれ、最後には「もっと、英語を勉強したい!」と、名残惜しそうでした。 5年生と6年生の皆さんには、授業時間の最後に愛の袋をお配りしました。鎌倉子どもチャリティ・イベントで、多くの方々の善意により集められた物資であること、袋の中身は、それぞれ異なることを説明しました。均一でない袋に入っていた中身を交換し合う交渉も、子どもたちにとっては楽しみの一つになるようです。 授業の最後に、子どもたちから歌のプレゼントがありました。 「翼をください」 歌詞より 今、私の願い事が、かなうならば、翼が欲しい この大空に翼広げて飛んでいきたいよ 悲しみのない、自由な空に、翼はためかせ、行きたい 女子:男子=1:5 という、割合での、ボーイ・ソプラノを活かした素晴らしい合唱でした。中には肉親を亡くしている児童もいます。 その美しく澄んだ歌声に、その場にいる私たちは笑顔でいる努力を惜しみませんでしたが、こぼれてしまう涙を止めることは、できませんでした。 5月28日(土)午後11:00に逗子から出発しました。 29日(日)午前9:00ころ、陸前高田市内の小学校の校庭に並ぶ仮設住宅に到着。その後、キリガヤさんチームのお昼の炊き出しのお手伝いをしました。 メニューは焼き鳥と、フランクフルト。おみやげに、逗子の村松商店さんの玉こんにゃくと、便利なエコバッグ、お菓子などです。96戸の仮設住宅にお住いの皆様に、とても喜んでいただけたようで、何より嬉しいことでした。 ここの仮設にお住いの皆さんは、ほんの少し前、避難所から越してきたばかりだそうです。4畳半2間とキッチンの住宅に家族9人で暮らしているお宅もあれば、高齢で一人住まいの方もいらっしゃいます。 住民同士の関わり合いはまだ、少ないようすで、この日は小雨交じりで肌寒かったこともあるのでしょうが、食べ物を受け取ったみなさんは、個々の住宅に戻られ、玄関の引き戸を閉じてしまいます。 住民の皆さんが共に会話をしながら食事を楽しめるようなコミュニティ・スペースが、今、早急に必要されているものだと思います。 キリガヤさんの陸前高田支援のキッカケとなり、支援のための手助けをしてくださっている女性の仮設住宅にお邪魔しました。心優しく気丈な素晴らしい方で、震災後、避難所でリーダーシップをとり、被災したみなさんのためにご尽力されていました。ですが、ご自身もご主人を津波で亡くされています。被災した人が被災した人を支えていくことの大変さを思うと、胸が詰まり、かける言葉もなくしてしまいます。 がれき撤去の自衛官の方たちが、がれきの中から写真を選り分け、その場所に取り置いてくれるのだそうです。そして通りがかりにそれらの写真を見た顔見知りが、ご本人まで届けてくれるそうです。津波による塩や泥に傷つけられた写真の中には、みなさんがあの日、一瞬にして失ってしまったものが眩しいほどに輝いていました。
東日本大震災 鎌倉子どもチャリティ・イベントで集められた支援金は合計¥1,053,953_でした。
多くの皆様の、温かいご支援に感謝申し上げます。ありがとうございました。 街頭募金 ¥401,750 送金などによるご寄付 ¥550,656 イベント当日の募金箱 ¥101,547 合計 ¥1,053,953 皆様のお気持ちを、被災地の子どもたちへ確実に届けるために検討を重ねました結果、支援金を次の2つの団体に寄付させていただきましたので、ご報告申し上げます。 ワールド・ビジョン・ジャパン様 ¥152,693 大洋学園様 ¥900,000 振り込み手数料2件 ¥1,260 合計 ¥1,053,953 ワールド・ビジョン・ジャパンは、震災翌日から被災地の子どもたちのために支援活動を始めた非営利法人です。同団体のチャイルド・フレンドリー・スペイス により、いち早く被災地の子どもたちの支援を始めた行動力に対して、実行委員会では当初から支援を決めておりました。 大洋学園とは大洋会が運営する児童養護施設で、東日本大震災で両親を亡くした子ども達が数名入居しています。先日の実行委員のメンバーによる被災地訪問時に大船渡市にある大洋学園と交流を持つことができました。施設のWebサイト等を確認し、すばらしい活動をされている大洋学園を支援させていただきたいと考えました。 下記URLより、大洋学園のWebサイトをご確認いただけます。 http://www.taiyokai.or.jp/index.html 大洋学園では支援金を、養護の対象子供たちが地域で生活するためのグループホーム(6~7名収容予定)を大船渡の平野部から高台へ移転開設する費用としてご活用いただけるとのお知らせをいただいております。 なお、ワールド・ビジョン・ジャパン様では、後日、支援金の受領書をお送りいただけるとのことでした。届きましたら、当Webサイトにてご報告させていただきます。 生徒一人一人に、世界中から集まった手作りのカードといっぱいのプレゼントの入った『愛の袋』を手渡しました。 小学校の校長先生の陸前高田市のお住まいもこの震災で流されたそうです。その他、教職員の方々の中に家を流されたり、ご家族、御親戚を無くされたりした方もいらっしゃる状況の中、子供たちの為に頑張っていらっしゃります。 そんな大変な状況にもかかわらず、今回こうして暖かく迎えていただいたことに心から感謝いたします。 2泊した神社では毎朝 7:30~8:00、道路脇で通学する子どもたちの出迎えをしました。 今、神社前の道路は毎朝午前6時ごろから復興のための大渋滞が続いています。その道に押しボタン式信号があるのですが、道を渡るため信号を変えた子供たちは皆、渡り終わった後に待ってくれている車に向かって「ありがとうございました」と一礼していきます。その後、学校に向かって坂を登って行く姿を見ながら、私たちが忘れかけている懐かしいものが生きている姿に心が動かされました。 人と人との繋がり、コミュニティーの大切さ、過去の人々の経験と叡智を学ぶ事の大切さ(漁師で画家の方を訪ねましたが、その海辺の町には、津波への警鐘をならす先人達が残した石碑があるそうです。その石碑の伝えていたところまで今回津波が来たそうです。)、生きるための教育、いのちの大切さ、防災訓練の大切さ、学ぶこと、考えさせられることの多かった4日間でした。 東北の人たちの忍耐力、底力、暖かさ、優しさに勇気づけられた貴重な体験でした。 東北の美しさ、日本の美しさを無くしてはいけない、これからも時間をかけて出来る事をしていきたいと思います。 Heart One!!
南三陸、気仙沼を通って、最終目的地の陸前高田の矢作町に向かいました。津波の被害を受けた街並みが延々と続きます。
海岸沿いに数万本の松が並んでいた陸前高田市の高田松原の松の中で、一本だけ残った松。今、復興のシンボルとなっているそうです。 陸前高田市では、実行委員の親戚の神社に泊めてもらいました。 今回の訪問では、神社の裏の高台にある小学校、近くの保育園に愛の袋を届け、ワークショップを行わせていただきました。 神社は、陸前高田市の海岸から8kmほどの所にありますが、川を上ってきた津波はちょうど神社の50メートルくらい前まで流れ込み、小学校では、避難した子どもたちが校庭から家や車が流されていく状況を見ていた所です。 保育園、小学校を訪ねる前の晩に、全校生徒一人一人の名前を書いたメッセージと、潰れやすいお菓子類などを袋に追加する作業をしました。その際に、学年、性別に合わせて、メッセージや愛の袋の中身を再確認しました。 まず、午前中に保育園を訪問しました。 現在、保育園には、津波で流されてしまった保育園に通っていた子供たちも来ているため、職員室、園長室も全て保育室に使われていました。 2歳~5歳くらいの幼児たちに愛の袋を渡した後、長いロールの紙にハートの絵を描くワークショップをしました。 終わった後全員で構内を一列になって汽車ごっこ行列をしました。 5月8日〜11日、実行委員4人で、ハイエースいっぱいに、愛の袋 (皆さまからお預かりした文房具やおもちゃ、お菓子を子供一人一人の為に、鎌倉のお母さんたちが手作りした袋に詰めたもの) や、図書、スポーツ用品、衣類、食料などたくさんのプレゼントやワークショップの材料をのせて、仙台、石巻、三陸沖、陸前高田と被災地をおとずれました。 津波による被災状況は何処も想像以上の状態で、延々と瓦礫が続く様に4人とも言葉を失いました。 そこに、地震前にあったであろう生活の事を想うと、心の中で手を合わせ、祈らずにはおられませんでした。 最初に訪問したのは、地震後道路が分断され孤立した際、残された家の前の空き地に海岸の石をあつめてSOSのサインを出し生存を知らせて助かった石巻の漁村の避難所です。ヘリコプターが停まれる場所もHの文字を大きく書いて作ったそうです。 残っていた食料を持ち寄って飢えを忍び、1週間くらいのちヘリコフターで救援物資が届き、現在はいろいろな所から救援隊が来て何とかやっています。 漁村の皆さんが、協力して生活している姿に、人と人のつながりの大切さ、自分たちの手で必要なものを作り出していく創造力の大切さを改めて思いました。 漁師さんたちの仕事である、わかめ漁は3月が収穫期ですが、今年は全て地震でだめになってしまいました。でも、来年の収穫を目指して、10月に種を仕込めるように、皆で努力をしているそうです。 来年の3月には、わかめを収穫し流通を再構築したいと語っていらっしゃいました。 その自立への応援をする事がこれから一番の助けとなりそうです。 |
Heart One Japan実行委員会このブログは、2011年「東日本大震災 鎌倉子どもチャリティ」のためのものです。わたしたちの活動に関する情報を提供していきます。 過去の記事
December 2011
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